2月17日(金)のつぶやき 15:17 from keitai web ゆえに、芸術は表現である、とも簡潔に言えましょうか 15:19 from keitai web すると、自然にあるものを「芸術」と呼ぶことには、違和感が生じましょうか!?それは表現という以前に、そこに元々存在するものだから・・・
「リサイタル本番に向けての練習をしながら」 〜 5月29日(火)のつぶやき 12:08 from keitai web リサイタルに向けて、最後の追い込み!?練習をしながら、今まで思いも付かなかった「指使い」を見付け、しっくり「きた〜!!」という発見が出来た時は、本当に嬉しいもの!あとは、それが本番でうまく出来るかどうか・・・ここが大問題・・・ 12:32 from keitai web 今回の本番に向けて、注意項目いくつか
4月24日(火)のつぶやき 12:14 from keitai web m.ロン曰く1889年頃のドビュッシーは「ドビュッシーの音楽全部を洗い清めている官能性、知的熱狂、彼がつねに求めている、自然と想像力との間の神秘的関係
4月8日(日)のつぶやき 13:02 from keitai web 牧神は、十代男子のよう!? この音楽に見られるであろう健全な性欲は、決して悪意によるものではなく、むしろ可愛いものなのかもしれない・・・ふとそう思いました
4月6日(金)のつぶやき 13:29 from keitai web ショパンに引続き、あんなにも「ルバート」を多用した作曲家ドビュッシーが、「メトロノームのように」と要求する矛盾!?いやこれは、「揺れるべき音で揺れて、そうでないところでは余計なことをしない」という高度な音楽性を表しているのかもしれません 13:33 from keitai web では「揺れる(ルバートす)べき音」とは!?最近の私の研究成果からは、それは倚音であったり掛留音であったり、あるいは転調するポイントとなる音や、あるいは沢山の装飾音のある時、などなどが揺れてよい(いや、揺れるべき!?)音楽のところ、と考えております 13:42 from keitai web ドビュッシー曰く「音楽とは分散している力の統合のようなものだ・・・
4月5日(木)のつぶやき 15:23 from keitai web 何を言いたいか!というと、あの時「こだわり」をもって曲に向かいあっていたことが、音楽演奏の質を高める要因となったのでは、と考えられるのです