- 則天去私
当時ようやく、漱石のような都会の知識人階級の男性に近代自我というものが生まれ、そうして生まれた自己との葛藤が彼らの生きる上での苦悩であったとき、漱石の初期の小説にも描かれているように、登場人物の女性は、あくまで「お嬢さん」として、近代自我に苦しむ主人公の彼岸にいる内面のないがゆえに主人公を写し返す鏡のような存在として描かれていました
- 癒されるのが怖い病ー望郷
小説の中で姉妹が繰り返す英語交じりの日本語の中に、繰り返し登場する「私たちはもう手遅れだ」というセリフが、彼女たちの不安を物語って、その孤独に胸が締め付けられるような気がします
- 日本語で小説は可能か?
まさに小説そのものという壮大なストーリーの上に、水村氏は、日本語で果たして小説が可能かという実験を試みています
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