- 大河ドラマ探訪131「平清盛」21 京都探訪77 高松神明神社・池禅尼と美福門院が清盛の動向を決定
一方、崇徳側は亡き平忠盛が、崇徳の子の重仁親王の後見人であり、池禅尼も重仁の乳母だったことから平氏に期待していたものの、平氏が池禅尼の指示で後白河側につくことによって、平氏が京都周辺で最大の兵力を持っていたために、保元の乱の帰趨が決まったということが、岩田慎平氏の「乱世に挑戦した男平清盛」に書かれています
また上杉氏の「平清盛」でも、「最大の軍事を有する」「清盛たちが崇徳側についたならば、この直後に起こる保元の乱の結果は全く異なったものとなり、日本の歴史の流れも大きく変わっただろう」と書かれています
- 7月の新刊新書文庫選書
◎角川ソフィア文庫「保元・平治の乱 平清盛 勝利への道」元木泰雄
保元の乱が出てくるのは「軍記物語の世界」ぐらいかな
- 平清盛…保元の乱…
…今日は、保元の乱という大事な山場の一つだったわけですよ
…
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